息子の同級生のお母さんで、数年前から親しくしているSallyが書いた記事が、今日のNew York Metro(フリーペーパー)に掲載された。フリーランスライターの彼女は、精力的に執筆活動をおこなっているのだ。息子を迎えに行ったときに声をかけられ、はずんだ声で掲載のニュースを知らせてくれた。
帰路、私もMetroを一部拾って、家に帰ってからじっくり読んだ。 長年銀行に勤めていた彼女は、娘のCocoが生まれてから仕事をやめ、専業主婦になった。記事の内容は、こんな感じ。 「娘は自分や回りの専業主婦のお母さん方を見ながら育ったため、世の中の女性がすべて家にいて、子供の面倒を見ていると思っていたのだ。ある日夫の職場に連れていったとき、そこに女性がいるのを見て、娘は驚いた。それを見て、自分はもっと驚いた。自分は娘にとって、よいロールモデルではなかったのかもしれない。よいロールモデルとは、経済的に自立した女性。娘には、『すべてのお母さんが、お父さんにお金をもらわなければ生活できないわけではない』と教えたかった。そして私は仕事に出た。『自分のお金』があるってなんて素敵なこと!そして私はまた、夫と対等な立場になったのだ。」 Sallyは頭がよく、おしゃれで、何よりもとても感じのよい女性なので、大好きだ。 でも、この記事には多少がっかりした(笑)。 専業主婦は、夫に「お金をもらっている」のだろうか?胸を張って、"my money"と呼べるものは存在しないのだろうか?単なるパラサイトなのか?よきロールモデルにはなりえないのか?方や、ワーキングマザーは、"my money"があって、経済的に自立していて、偉いのだろうか? 自分は、まあ、兼業主婦を目指しているわけだが、収入はないわけで(いや、多少はバッグが売れるのであるにはあるが、経費の方が多く、赤字・笑)、この論理でいえば、完全なるパラサイトで、夫にお金を恵んでもらっている存在だ。でも、そんな風に思ったこともないし、幸い、夫もそんな風に思っている素振りは見せない。 こういう考え方って、多くの女性とその労働に対する基本的なリスペクトに欠けるのではないか?労働の価値を所得だけで測ろうとするのは、なんとも浅薄ではないか? 「本当に大切なものはお金では買えない」とよく言われる。 それでも人は、お金にならない労働の価値を、なかなか認めようとしない。子供が学校から帰ってきたときに、「お帰り」と笑顔で迎えること、一緒におやつを食べながら、その日の学校での出来事について聞くこと、怒ったり笑ったりしながら、宿題を見てやること、どれも経済的な価値は生み出さない。でも、日々こういうことをしているお母さんたちが、同じ時間を会社で過ごし、経済価値を生み出しているお母さんたちよりも劣っているとは、私にはとても思えない。 自分が子供たちにとってよいロールモデルではないとしたら、それは自分に収入がないからではなく、他のたくさんの理由による。(笑)
by oktak
| 2006-10-17 11:22
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