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祖母との別れ

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東京・西巣鴨で祖母が経営する果物店を応援しようと、妹と動き始めたばかりだった。
離れている私にできることは少ないが、高山商店のロゴ入りポーチやバッグを作って、買い物に訪れてくださったお客様にプレゼントできればと思い、上のポーチを仕上げたところだった。

7日朝、最愛の祖母は突然逝ってしまった。
運悪く夫は出張中、子供たちを連れて帰るのはあまりに困難なので、彼らをそれぞれ別の友人宅で預かってもらい、私一人で翌日帰国した。通夜と葬儀に間に合ったのは、一重に支えてくれた友人らのお陰だ。

土砂降りの中、お別れに訪れてくださった方の数は多く、同じ土地で長年商売を続け、最後まで現役だった祖母が培ってきた人間関係の広さと密度の濃さを思うと共に、心からありがたく思った。

私はといえば、祖母に対面すれば泣き崩れてしまうのではないかと心配していたものの、一人娘の母や、50年にわたって祖母と共に店を運営してきてくれた方たちの前で泣くわけにはいかないとの思いからか、意外にも平静を保つことができた。

今はまだ、祖母がこの世からいなくなってしまったことが受け入れられない。

お通夜で、お坊様が「この世の人間はすべて罪深い」というお話をされたが、祖母の「罪」は一つも思い出せなかった。祖母ほど善良な人間を、私は知らない。
優しく、働き者で、自分を省みず人の世話ばかりして、謙虚で愛情深く、自分の辛さは一切口にしない人だった。また、優しいだけではなく、正義感が強く、筋の曲がったことは決して許さないたくましさがあった。祖母は常に私の指針であり、目標だった。

人生最後の十年は、腰の激痛に耐え、二度にわたる大手術を乗り越え、ほとんど歩けなくなっていたものの、周りに心配をかけまいと弱音を吐かず、相変わらず下町特有・男勝りの話し言葉で、近所の人とユーモアたっぷりに丁々発止とやりあっていた。

私たち3人の孫は、この祖母の愛情をたっぷり受けて育った。
もう話すことも、笑顔を見ることもないのだと思うと、ただ信じられない思いである。
祖母の存在はあまりに大きく、今はまだ、麻酔が効いていて悲しみさえ感じられないような状態だ。

祖父も祖母も亡くなったが、高山商店は、二人の店員さんができるところまで続けてくれるという。妹は、ホームページブログを、今後も続けていくつもりだし、私もできる方法で応援していこうと思っている。いずれ、写真のポーチやその他の作品をお客様にプレゼントしたい。

というわけで、引き続き高山商店をよろしくお願い申し上げます。
ご意見・ご要望等、高山商店ブログのコメント欄にじゃんじゃん書き込んでいただけると大変ありがたく存じます。


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by oktak | 2010-10-14 02:56 | その他
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