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吾唯知足

 ここ半年くらい、今後の身の振り方について悩んでいた。
 2005年にサイトを立ち上げてから、これまでに一体何千点のバッグやがま口を作ってきただろう。
 楽しみながら好きなものを作っていたはずなのに、Etsyの目覚しい拡大に伴う競争の激化(特に安価な類似品の激増)と、世界的な景気の低迷により売り上げが減少すると、次第に「売れるものは何か」ばかりを考えるようになった。結果、次から次へと猛スピードで新しいものを作ってみるものの、爆発的に売れるはずもなく、経費ばかりがかさみ、在庫は増え、焦燥感はつのるという悪循環に。そこで、6月あたりから、新しいものを作るのを一切やめた。いろいろな意味で、休止が必要と感じたからだ。

 一方、いつか人権保護や人道支援に関わる仕事をしたいという思いを常に抱いてきたため、年も年なので、今こそ真剣にその分野で仕事を探すべきなのではないかとも考えた。しかし直球勝負ではなかなか見つかるはずもなく(そもそも募集がない。あっても、たった一つのポストに世界中から何千件もの応募があるだろう中、経験不足の中年をわざわざ雇う奇特な人事担当者はいまい・笑)、こちらも難航。
 
 つい最近、かなり興味をそそられる求人情報があった。某非営利組織のポストで、しかも知的な職務内容。しかし仕事はフルタイムで、かなりハードと思われる。当然ながら応募しても採用される保障などまったくないが、これは細かい条件が見事に合致しており、もしかしたら可能性があるかもと思えた。

 問題は、まかり間違って採用されると、oktakを続ける時間がなくなることだ。
 いくら今年売り上げが落ちたとはいえ、やめたいとはまったく思っていない。それに、狭き我が家を占領する、この材料の山。今やめてしまったら、これをどうしろと言うのだ。

 また、実はそれ以上に、子供と過ごせる時間が少なくなることに、どうしても抵抗がある。
 お子さんが幼いうちからフルタイムで働いておられるワーキングマザーには「いいご身分」と呆れられるかもしれないが、私は子供が学校から帰ってきたときに「お帰り」と言えること、他愛もない話ができることに大きな喜びを感じ、いい加減ながらも日本語の勉強をさせたり、宿題を見てやったり、時事問題を解説する時間があることをとても大事に思っている。片親(夫)が不在がちであることも、上の子が生まれたとき、家でできる仕事を求める決意をした理由の一つである。子供たちは大きくなってきたが、もう少しの間、できるだけ一緒にいたい。

 このように、「いつかやりたい仕事」がまだあり、自分一人の生活費くらいは稼ぎたいという欲求や焦り、そして着々とキャリアを構築している友らへの羨望・劣等感がどうしても拭い去れない一方で、収入や自分の長期的目標はお預けにしても大切にしたいものがあり、悶々としていた。

 そんなとき、ある友人が、”When is 'enough' enough?”というメッセージをくれた。
彼女曰く、人間は常に「より上手に」「より効率的に」「より生産的に」「より速く」物事ができるようになりたいと願い、”more”を求めてやまない。でも、既に十分幸せなのではないか?多くを求めるあまり、今、目の前にある人生を楽しむことを忘れてはいないだろうか?それこそが、一番大切なことなのに。

 そうなのかもしれない、と思った。
 現状に満足することは、向上心を失い、怠慢に甘んずることのように思えなくもないが、家族が健康で仲が良く、衣食住が足りているのに、”more”を求め続ける自分も、どこか滑稽で、浅ましくすらある。

 私に今必要なのは、”more”ではないのかもしれない。既に"enough"があるのに、"more"に手を出そうとするから抵抗がある。

 吾、唯足るを知る。
 今あるものに感謝し、じっくり楽しむこと。
 子供との時間然り、oktak然り。
 初心にかえり、たとえ時間がかかっても、自分が本当に好きなものを作る。
 マーケットの気まぐれな嗜好に惑わされず、もっと丁寧な物づくりを目指す。

 収入は減るかもしれないが、収入が自分のプライオリティでないことは、10年前に選択したはずだ(笑)。

 それに、いつか自分でも書いたが、人生は長い。
 子供たちが私を今ほど必要としなくなったとき(それはおそらく驚くほど早くやってくるだろう)、大きな転機がくるだろう。健康でさえあれば、年齢はあまり気にすることもない。いつか必ず、自分が享受した幸せを、なんらかの形でgive backする機会がやってくるに違いない。


  
 
by oktak | 2010-09-13 23:13 | その他
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