昨日のNY Timesに、"Ending the Slavery Blame-Game"という記事が載っていた。著者のHenry Louis Gatesは、アフリカ系アメリカ人研究が専門のハーバード大の教授だが、去年、自宅で誤認逮捕されて大騒ぎになったことで覚えている方も多いだろう。
この記事を読んで、まったく釈然としなかった。 過去の奴隷制の罪を償うために、米国政府が奴隷の子孫であるアフリカ系アメリカ人に賠償金を支払うべきという議論が以前からあるが、Gatesは、奴隷制の責任は、米英仏など当時の宗主国だけでなく、同じ民族の人々を西洋人に売ったアフリカの権力者にもあるとし、賠償金の議論はその点を考慮しなければならないと主張している。さらに、アフリカ人とアメリカ人のハーフであるオバマ大統領は、奴隷制の責任を、然るべきところに問うことができる「ユニークな立場」にあると述べている。 一部アフリカ人が、奴隷制を支えていたことは事実だろう。西アフリカやコンゴ、アンゴラで、奴隷を集めて西洋人に売った権力者や商人にも、当然ながら罪がある。 だが、なぜそれに米国内の賠償金の議論が影響されるのだ? 議論のポイントは、あくまでも米国政府が過去に奴隷として想像を絶する苦難を強いられた人々(実際にはその子孫)に対してどのように償いをするのか(あるいはしないのか)であって、アフリカに協力者がいたかどうかは関係ない。 Gatesは"how to parcel out blame"(責任をどう分配するか)という言い方をしているが、これがどうにも馬鹿げているように思えてならない。「責任の分配」というと、たとえば責任の6割はアメリカ人にあって、4割はアフリカ人にあるとでも言うのか(数字は何でもよい)?仮に「分配」できたとして、その割合に応じて、賠償金を支払うべきか否かの判断、あるいは支払うべき金額が変わるとでも言うのか? 共犯者がいたかどうかで、罪が重くなったり軽くなったりするものだろうか? アフリカの「共犯者」にも、賠償金を負担しろと言うのか? 罪を"parcel out"することに意味はないと思う。 米国政府が、主体的に賠償するかどうかの決断をすればよいのであって、他者への罪のなすりつけは不要かつ不毛である。 ちなみに、オバマ大統領は、シカゴ大学で教鞭をとっていた頃、奴隷制度の賠償問題について言及したことがあると記事で紹介されている。賠償金の支払いは、理論的には正しいが、実施するのは無理だろうと。私もまったく同意見だ。
by oktak
| 2010-04-25 11:28
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