カテゴリ:日常( 136 )

娘。今年のハロウィーン衣装。

d0011990_254512.jpg



9才の娘は、ちょっと変わり者。
毎年ハロウィーンには、女の子の定番コスチューム(プリンセス系、フェアリー系、バレリーナ系)には見向きもせず、突飛なアイディアを出す。数年前は、「オレンジのギター」になりたいと言ったし(私が却下)、今年は、「墓石」になりたいのだと言う・・。

ま、ハロウィーンはお盆みたいなものですから、墓石はテーマに合っているといえば合っているんですが・・

ハロウィーンが近づくにつれ、気が変わってくれることを願っていたが、しつこく墓石にこだわっているので、先週末、一緒に作りましたとも。墓石のサンドイッチマン・コスチューム。

下には黒い長袖シャツとレギンスを着て、顔は骸骨のように目鼻口を除いて白く塗る予定。

↓ こちらは裏側。


d0011990_255669.jpg

[PR]
by oktak | 2013-10-23 02:56 | 日常 | Comments(2)

近況

ここ一年くらい、ブログに対する情熱を失っているのは、おそらく長年読んでくださっている方はお気づきだと思う。いろんなSNSに手を広げすぎて、どれも適当になるという、いい加減の王道。(苦笑)

Facebookは、プライバシーの侵害甚だしくて嫌いだが、アクティブなお友達が多いので、一応アカウントを持っている。ビジネスページはなるべく頻繁に更新するようにしている。写真シェアサイトFlickrは、時代に取り残されつつある感があるが、そこで知り合った人もいるのでキープし、思いついたら新しい写真を追加。好きなものをスクラップブッキングするPinterestも、魅力的なので手を出している。ツイッターはテンポが速くて、せっかちな自分には一番向いており、楽しんでいるかな。

これ以外に、Etsyのハンドメイド・セラー仲間が作ったgoogle groupに二つ入っていて、これも毎日チェックしないと、貴重な情報を見逃す。
大流行しているInstagramには手を出していない。今後も出さないようにしようと思う。笑

ところで最近、Etsyが基本的なポリシーを変更すると発表した。今後、セラーは商品をデザインさえすれば、製作工程は工場を含む第三者に任せてもよいことになった。さらに、製作した第三者が、直接お客様に商品を発送すること(いわゆるドロップ・シッピング)も認めることになり、デザイナーが一度も商品に触れずに、取引が完結できるようになった。

本来、「ハンドメイドで生計を立てることを可能にする」ことを使命にしていたEtsyだが、設立からの8年の間にCEOが2回変わり、メンバー数も激増した。いつ頃からか、中国その他の工場で大量生産された品物が、「ハンドメイド」の間に紛れ込むようになった。もちろん、確信犯。それを二束三文で売るものだから、自分の手で商品を作っているセラーは不愉快な思いをしてきた。

「ハンドメイド」の定義は難しい。「一人の人間がデザインと製作の全工程を担当した商品」と厳密に定義すると、売れっ子になったアーティストは、製作工程の一部もアウトソースできず、ビジネスの発展を阻まれる。(一人の生産キャパはたかが知れている。)しかし、「少人数による共同作業」と定義を緩めるとしたら、一体どこで線を引くのか?「少数」とは3人なのか、4人なのか、それとも10人なのか、「ハンドメイド」の境界線を、どうやって定めるのか?

結局、人を雇う必要性が生じるほど売れっ子になったアーティストの中には、Etsyの店を畳んで他の販売経路を探らざるを得なくなった人も出てきた。そこでEtsyはジレンマに陥ったわけである。ハンドメイド専門のサイトではあるが、製作のアウトソーシングを禁止すると、看板作家が去ってしまう・・。

このような背景があって、今回のEtsyの決断があったのだと思う。
しかし、完全にハンドメイドを放棄したような決定に、多くのセラーが辟易している。
新しいポリシーによれば、たとえば私がデザインしたバッグを、中国の工場に大量生産させても、「ハンドメイド」になるのだ。Etsy、利益のために、魂を売りましたな。

もともと、玉石混合のサイトであり、Etsyを知る人の多くが「大量のガラクタの中で良いものを見つけるのは至難の業」とこぼしていた。個人的には、Etsyはさらにガラクタを増やす方向ではなく、ガラクタを排除して、質の高いものだけを売る方向に向かうべきだったと思う。
利潤追求を最優先した結果が今回の方向転換なのだろうが、ガラクタを売るサイトは星の数ほどあるので、ここは思い切って審査制度を導入した方が、ニッチ市場を独占できたろうに、と思う。

話が長くなったが、これ以上Etsyに依存するのはよくないと考え、今、独自のサイトを再構築中。
2005年に友人の助けを借りて作ったoktakのメインサイトは、更新するプロセスがややこしいのが最大のネックで、長期間放置してきた。しかしこの数年の間に、ウェブデザイン/ホスティングサービスは飛躍的に発展した模様で(心底感動中)、今、少しずつ自分で一から作り直している。

きちんとした形にするにはまだ時間がかかりそうだが、今度のサイトには、独立したオンラインショップ、フォトギャラリー、ブログ、最新情報などを統合したいと思っている。これで、少なくともFlickrのプロアカウントは解約できそうだ。あとはこのブログもそこに移動させるかどうかだが、日本語で書いているので、まあ、これはこのまま維持した方がよいのかもしれない。

日々いろいろと考えていることがあり、またブログに書いていきたいと思っている。
読んでくださる人がいなかったとしても、文章を書くことはボケ防止に大切だ。笑
[PR]
by oktak | 2013-10-18 04:56 | 日常 | Comments(6)

日本語名、英語名

先日、テニスのUSオープンを見に行ったのだが、そのとき、コートの周りにスポンサー企業の名前がぐるっと表示されているのを見て、「日本の会社がひとつあるね。どれか分かる?」と娘に質問した。
どれも日本語ではなかったので、娘は分からなかったのだが、答えはPanasonic。
驚く彼女に、元は、松下電器産業という会社だったこと、多くの日本の会社が、海外市場を視野に入れて、外国人にも分かりやすい社名を採用することなどを説明した。

で、今日。
なんと、娘がエベレストと富士山は、同一の山だと思っていたことが発覚。<大丈夫か、3年生?
山にも日本語名と英語名があると信じていたとのこと・・
夫が心配して、グーグルで両者の違いを必死に説明していた。

娘曰く、「この前、パナソニックが日本の会社だって言ってたよね?で、SONYはヤマダ電機なんだよね?」。

子供にウケる毎日。
母親業は、なかなか楽しい。
[PR]
by oktak | 2013-09-16 11:28 | 日常 | Comments(4)

娘の誕生パーティー

d0011990_21425756.jpg



26日は娘の9才の誕生日だった。
毎年彼女の誕生日は、日本にいるか、NYに戻って間もない時期で、こちらで祝ったことがない。
今年は事情があって少し早めにNYに戻ったので、初めてミニパーティーを企画した。

先週から、毎日午後はバレエの集中レッスンに通っているので、バレエのお友達数名だけを招いての簡単なパーティー。アート好きの娘が大好きなクラフトを中心にしようと考え、いろいろ迷った挙句、陶器に絵の具でそれぞれの好きなデザインを施してもらうことにした。

真っ白のカップを人数分用意し、陶器にも使える絵の具20色を注文。
音楽を聴き、おしゃべりをしながら、1時間は楽しんだ。

その後はピザとサラダの簡単なランチ、娘好物のチョコレートケーキでお祝いして、大慌てで全員でバレエスクールに移動。笑

バーレッスンの間、お腹がぽっこり出て、叱られなかっただろうか?
[PR]
by oktak | 2013-08-29 21:42 | 日常 | Comments(4)

継続こそ力なり

最近ブログ更新を怠っていたので、まとめて写真をアップした。
何が忙しいって、早くも学年末が近づき、子供関係の行事が目白押しなのだ。

中でも一番大変なのが、娘のバレエの公演。
いよいよ今週末に迫った公演は、金曜の晩、土曜の昼と晩、日曜の昼と、計4回あるのだが、1ヶ月半前から、90分x週3回ある普段のレッスンに加えて、60-90分の公演のリハーサルが週3-4回あり、バレエスクールで過ごす時間が異様に長かった。土曜日など、娘はお弁当やおやつ持参で、文字通り朝から晩までバレエスクールにいた。

こんなことをしているうちに、娘の日本語の勉強はおろそかになるし、読書する時間は極端に減るし、(私が)心配で夜眠れなくなってきた。
バレリーナになるわけでもないのに、こんなにバレエに時間と労力を費やす意味は?
公演が終わったら、やめさせて、学業(日本語含む)に注力すべきだろうか?中途半端で終わっている水泳や、前々から本人が習いたいと言っているギターを習わせてやるべきなのか?

ほぼ毎日、5つも6つも子供に習い事をさせている親御さんを見るにつけ、「習い事は何のためにさせるのか?」と常々考えていたのだが、私自身は、子供にあれもこれもできる万能人間になってほしいという希望はまったくなく、たった一つのことでよいから、コツコツと努力を続けて、何かを達成する経験をしてほしいと思ってきた。分野は何でもよいが、困難を乗り越えて何かを続ける経験は、充実した人生に不可欠と思うからだ。

そういう意味では、娘にとってバレエは特別なものになりつつある。
でも、やはり学業が最優先だ。このままバレエを続けると、9月からは、週4回に増えるバレエの基礎レッスン以外に、ストレッチ、モダンバレエ、キャラクターの3つのレッスンも必修になる。
既に怪しくなりつつある日本語の勉強をどうやって続けるのか。学校の宿題とのバランスを、どう取るのか。
考え出したら、頭が痛くなってきた・・
長期に渡って海外に滞在している人の中には、母国語の教育をスッパリ諦めた、という人もいる。
そうしてしまえば、肩の荷が下りて、楽になるのだろう・・。でも私は遅れてもよいから、続けさせたい。

結局こういうジレンマを経て、習い事を数年でやめてしまう子がほとんどなのだろう。
でも、ここでやめたら、今までやっていたことの意味がない。
何も達成しないままやめるのであれば、お金と時間の無駄、そして親の自己満足で終わる。

文武両道は困難であっても、相互補完的な面もあり、少数ながら両方きちんと続けている人も確実に存在するので、ここは踏ん張り時なのかも。

そもそも、忙しい人ほど何でもきちんとこなしていて、「忙しい、忙しい」とぼやく人ほど、実際には暇だったりする。オバマ大統領が毎日ジョギングする時間を作れるのであれば、娘にバレエと学業を両立させる時間がないわけがない。笑

残るは、私の努力。
とりあえず決めたことは、毎日、漢字を3字ずつ練習する。そして教科書を1-2段落、2回繰り返して音読させる。これだけは最低限、毎日必ずさせる。そして余裕のある日には、問題集をやらせる。
学校の宿題は最優先。最後に読書だけは、日英どちらの本であってもいいから、必ず時間を取らせる。

これを、「疲れた」「やりたくない」と抵抗する子供にやらせるのは骨が折れる。親業は楽ではないのだ。誰かがfacebookに書いていた。It's harder being a good parent than a bad parent.
子供が嫌がることをさせず、責任を持たせず、叱らずに過ごせたら、どんなに楽か。
人並み以上に怠慢な自分だが、心を引き締めなおして、娘と共に頑張りたいと思う。

(ちなみに息子は、サッカー部の入部テストに何度も落ちたが、他で練習を続け、とうとう入部した。文句ひとつ言わず、勉強も、サッカーも頑張っている。それだけ大人になったということか。)
[PR]
by oktak | 2013-05-14 00:10 | 日常 | Comments(13)

Fundraising season

d0011990_3552571.jpg



全米どこでもそうなのか、NYだけなのかは不明だが、2月から3月にかけては、ファンドレージング(資金集め)のシーズンだ。

公立の小学校では、年がら年中ファンドレージングがおこなわれているが、3月に最大のイベント、オークションが開催されるところが多い。

娘が通う小学校でも、16日(土)夜にオークション・パーティーがある。
PTAには、オークション準備委員会が設けられ、半年がかりで準備をする。

このパーティーは大人向けで、子供は参加不可。チケットの値段は、学校によってまちまち。(ちなみに娘の学校では、一人$50。)
大抵学校のカフェテリアで開催されるのだが、普段と同じ場所とは思えないほど、真剣にボランティアたちが飾り付けるので、それは豪華。
オークションにかけられる品物は、近所のレストランの食事券、野球やバスケットボールなどスポーツ観戦のチケット、iPadやテレビなどのエレクトロニクス、サマーキャンプ割引券など、実に多様。そのすべてが、地元のビジネスや、親の勤務先からの寄付。

なぜ学校がこんなにも資金集めをしなければならないのか、日本在住の方々には想像しかねると思う。
でも、こうして集められた資金で、生徒用のコンピューターを買ったり、低学年のティーチングアシスタント(担任助手)を雇ったり、食堂のテーブルを補修したり、外国語クラスを導入したりしているのだ。

以前も書いた記憶があるが、毎年9月、新学年が始まるときに、新しい担任の先生から、「サプライ・リスト」というものが配られる。このリスト、長いときには50品目くらい並んでいるのだが、鉛筆一箱、マーカー一箱、ティッシュ、ペーパータオル、のり、セロテープ、はさみ、コピー用紙一パック等々、各家庭が買って、学校に持参しなければならない。「こんなもの、なんで親が買わなきゃならんのだ?」と思うが、そういうものを買う予算すらないらしい。

というわけで、私も可能な範囲で貢献するようにしている。
今年は、娘の学校のオークションの"corporate sponsor"になり、巣百ドル寄付する代わりに、プログラムにoktakの広告を掲載してもらうことになった。(これ↓)


d0011990_4113779.jpg



 娘が通うバレエスクールでも、今週末は娘たちのクラス主催のベークセールがあるということで、一番上の写真の、「ポニーテール用ゴム」を作った。少しは売れるかな?
[PR]
by oktak | 2013-03-09 04:16 | 日常 | Comments(4)

刺繍糸の整理

d0011990_2341090.jpg



最近、刺繍作品が増え、それに伴って刺繍糸の数も劇的に増え、収納に困っていた。
買ってきたままの状態で使っていると、糸がつれたり、色の番号が書いてある紙が取れてしまうこともあるし、使いかけの短めの糸をどうするかという問題もあった。

Twitterで、刺繍をする人たちに収納をどうしているか聞いてみたところ、刺繍糸用の小さなボビンと収納ケースという、便利なものがあることを初めて知った。

買ってきた糸を巻き直すのは時間がかかるが、ボビンに番号を貼り付けておけば、色がわからなくなることもないし、つれることもない。余った糸もすっきり収納できるし、手間をかける価値があると悟った。

プラスチックの箱、2箱にぎっしり収まった糸を、見ているだけで幸せ。
[PR]
by oktak | 2013-02-06 02:39 | 日常 | Comments(3)

Philadelphia旅行

d0011990_3154757.jpg



d0011990_316791.jpg

↑独立記念館。この部屋でジェファーソンが独立宣言を起草。中央の椅子はもっとも古く、ジョージ・ワシントンが実際に座ったものだという。


d0011990_3163049.jpg

↑Arch St.の家々。


d0011990_3165262.jpg

↑旧市街の様子。


d0011990_3172432.jpg



d0011990_3171083.jpg

↑フィラデルフィア市庁舎。全米最大の市庁舎、また石造建築としては世界で二番目の規模だそうだ。
実に立派。



例年、クリスマス当日以外は休みを取らない夫が、珍しく一週間休みを取った。
たまにはマンハッタンを出たいということで、ふらりとフィラデルフィアに出かけてきた。

ワシントンDCには何度も行っているが、いつもスルーしていたフィラデルフィアに立ち寄るのは、実は初めて。
建国の地だけあって、(アメリカにしては)古い町並みが残っていて、予想外に素敵なところだった。
もっとも訪れたかった、Barnes Foundationは、チケットが既に完売で入館できなかったが、独立記念館や旧市街、Reading Terminal Marketなどを歩いた。息子は念願の本場Philly Cheese Steakを食べて、大満足。

ニューヨークからは近いので、ぜひまた春に訪れたいと思った。
今度は事前にBarnes Foundationのチケットをちゃんと予約して・・
[PR]
by oktak | 2012-12-31 03:28 | 日常 | Comments(0)

褒められて一番うれしいこと

この年になると、人に褒められることはあまりないが、今日、褒められてとても嬉しいことがあった。

娘は今、週3回バレエのレッスンに通っているが、毎回違う先生で、月曜日の今日は「大先生」の日だった。
アーティスティック・ディレクターの彼女は、故ジョージ・バランシンの愛弟子の一人で、かつてはNY City Balletのソロイストであり、今もバレエスクールで教える傍ら、バランシン・バレエの演出を世界中で手がけている。いまどき珍しい厳しさを持った先生だが、ユーモアのセンスも抜群で、何よりも教え子たちへの愛情が溢れているので、7歳児から大人に至るまで、教え子たちは皆、彼女が大好きだ。

私などは、恐れ多くて話しかけるのも憚れるのだが、今日は娘のレッスンが終わった後、わざわざ私のところに来られて、こう言われたのだ。
"You have a very special child. She has such a beautiful heart. I just love her. I look forward to Mondays because I can see her."
(特別なお子さんをお持ちですね。彼女はとても美しい心を持っています。大好きです。毎週月曜日、彼女に会えるのが楽しみなんですよ。)

もう、びっくり。大感激。
あまりの驚きに、慌ててお礼を言ったものの、しどろもどろ。笑

誰でも褒められるのは嬉しいと思うが、母親にとって何が一番嬉しいかって、子供を褒められることほど嬉しいことはない。しかも、頭がいいとか、顔がかわいらしいとか、スポーツが上手だとかではなく、人間性を褒められること。
人間、嬉しさでショックを受けて呆然とするってこともあるんですね。笑

興奮が少し冷めたときに、一番すごいと思ったのは、先生である。
こういうことを、人に言えるということ。
そういう先生こそが素晴らしく、美しい心をお持ちなのでは。

そしてしみじみ思ったのだ。
人の行動、意見、文章、言動、「いいな」と思ったときは、自分の中に宝物のように仕舞い込むだけでなく、是非相手に伝えなければと。
人からの暖かい一言が、どれほど相手に大きな喜びをもたらすか、今日は身をもって学んだ。
それがその人の良さをさらに引き出すきっかけにだって、なるかもしれない。

ちょっと早いけれど、最高のクリスマスプレゼントをもらった気分だった。
[PR]
by oktak | 2012-12-11 12:42 | 日常 | Comments(6)

Taking care of another life

先週、実に久しぶりに、学生時代の親友と話した。
彼はもう何年も前からカリフォルニアの大学で教えているが、今年初めにお母様が亡くなって以来、いまだに夢の中をさまよっているようで、大変辛いのだと語った。

彼は私と同い年だが、いまだ独身で、数年前に父上も亡くしており、兄弟とも疎遠なので、その辛さは想像に難くない。友人の数は、私など比べ物にならないくらい多いし、恋人がいない時期もほとんどないと思うのだが、いつも孤独に苛まれているように見える彼。

学生時代、彼とは寮で隣の部屋で、毎晩のように巨大なマグカップの淵までめいっぱい紅茶を入れて、ありとあらゆるテーマについて話し込んだものだ。彼は私を"soul mate"と呼び、二人とも大の猫好きだったので、壁に猫用の出入り口を作って、共同で猫を飼おうと冗談を言ったこともあった。

私が知る誰よりも思慮深く、真の「オープンマインド」を持つ彼は、当時から「子供はいらない」と断言していた。子供が嫌いだからではなく、このような世界に新たな命を生むことが忍びないという理由だった。そして子供を作らないことを前提に、長期的なパートナーシップを築ける女性を見つけるのがいかに難しいかと嘆いていた。(彼が親しくなった女性のほとんどは、最終的に子供を生むことを望んでいたらしい。)

母上を亡くした今、彼があまりに辛そうなので、猫を飼ってみてはどうかと提案したら、「とても他の命の面倒を見ることなどできない」と答えた。

この台詞("I can't take care of another life")、他の友人からも聞いたことがあるが、その度に私の心はざわつく。
その気持ちには深く共感できる一方で、「他の命の面倒を見なくて、生きられるのか?」と思うからだ。

親友ほど、感受性が強く、繊細な人間を他に知らない。
彼は人の痛みに深く共感する能力があり、それゆえに「子供はいらない」とも思うのだろう。
自分が生きるのだってやっとなのに、面倒を見なければならない命があったら、どれほど負担だろうと思う気持ちは、十分理解できる。喜びも大きいかもしれないが、苦しみも倍増するし(愛する存在が苦しめば、自分はもっと苦しむ)、責任の重さに圧倒されるのは分かる。
彼ほど優しい人を、どこか近寄りがたく感じるのは、猫や子供だけでなく、誰のことも、「面倒を見られない」と、しんどいことも、汚いこともひっくるめて愛することを避けているからではないかと思う。

でも人は、他者との関係によってしか生きることができない。
愛することによってしか、孤独を脱することはできない。
愛には当然苦しみも付随するが、それはどうしても切り離せないものなので、セットで抱え込むしかない。
「他の命の面倒を見ること」は、「自分の面倒を見ること」に他ならない。
面倒を見る相手がいない人生は、どれほど崇高な目標に向かって努力をしても、最終的には満たされることがないように思う。

前にも書いたと思うが、「孤独でない」ということは、大層面倒で、苦しいことなのだ。
でも、誰の面倒も見ないことより、苦しいことはない。
誰かの苦しみも引き受けることによってしか、人は生きられないのだと思う。

「今、あの頃のような友達は周りにいるか?」と尋ねられ、「いない」と答えた。
学生時代は、人種・国籍・性別・年齢など一切関係なく、何についてでも語り合える友がいた。
彼は今でも学者や若い学生たちに囲まれているのに、やはり昔のような友はいないと言った。
「あの頃は、'ideas'について話し合えたね」と懐かしむ彼と、またマグカップになみなみと紅茶を入れて、語り合える晩がきたら、私は上に書いたようなことを話してみたいのだ。
彼が心から幸せになれることを、いつも願っている。



People,
People who need people
Are the luckiest people in the world
We're children needing other children
And yet letting our grown-up pride
Hide all the need inside
Acting more like children than children
Lovers
Are very special people
They're the luckiest people in the world
With one person,
One very special person
A feeling deep in your soul
Says you are half now you're whole
No more hunger and thirst
But first be a person who needs people
People, people who need people
Are the luckiest people in the world.
[PR]
by oktak | 2012-11-28 02:17 | 日常 | Comments(0)