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言論の自由を説くならば

はすみとしことかいう漫画家が描いた、シリア難民を揶揄するイラストに激怒し、Facebookにその削除を求めている人たちがいるが、いまいち釈然としない。
同じ善意ある人たちが、ついこの間は、Je suis Charlieと拳を上げていたのではないだろうか?言論の自由を主張するなら、シャルリー・エブドが掲載したイスラム教に対して侮辱的なイラストを擁護する一方で、Facebookが掲載を許した難民に対して侮辱的なイラストの抹消を求めるのは、一貫性がないのではないか?
どんなに不快な内容であっても、それぞれの人間が意見を表す権利を守る。それが原則ならば、はすみの漫画の存在も認めざるを得ない。もちろん、はすみの漫画は真実をグロテスクに歪曲した、極めて悪趣味なプロパガンダだと思うが(それをいうならエブドが掲載した漫画の多くもグロテスクで悪趣味)、まさに世間の怒りを扇動するのが目的であり、今の展開は彼女の思う壷なのではないか。その内容に抗議する最善の方法は、完全な無視だ。

再びヴォルテールの言葉。"I do not agree with what you have to say, but I'll defend to the death your right to say it."
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by oktak | 2015-10-02 21:10 | 日常 | Comments(12)
Commented by 小林正秀 at 2015-10-06 18:50 x
 私も<change.org>https://www.change.org/jaの当該キャンペーンに賛同署名しましたが、それは、この人の「言論の自由」を抑圧するためではなく(以下のような規則の無い場所に自由に発表すれば良い)、このイラストがFBのhttps://ja-jp.facebook.com/communitystandards#「コミュニティー規定」の特に以下の三つーー「いじめと嫌がらせ」「差別発言」「著作物の保護」ーーに抵触・違反する可能性があるからです。スペースが無いので、これ以上書けませんが、詳しくは、この点に関し、御自身でお調べ頂ければ幸いです。
Commented by oktak at 2015-10-07 11:00
小林さん、コメントありがとうございます。結局、イラストの元になった写真の所有者が苦情を申し立てて、イラストは削除されたようですね。問題の核心は、「Facebookの規定違反」だったとおっしゃるのですね。しかし、私は小林さんが挙げられた三つの規定のうち、明白な違反は著作権侵害のみで、イラストは(極めて不快ながらも)「レイシズム」にも、「いじめ・嫌がらせ」にも該当しないと考えていました。(実際、Facebookもイラストを規定違反とは判断していないようですね。)また、著作権侵害を申し立てられるのは、著作権所有者本人または公式代理人のみなので、第三者がいくら署名活動をおこなっても無効です。そのため、署名は検討しませんでした。私は、これだけ大勢の人が憤慨し、署名キャンペーンに参加したのは、イラストが侮辱的で不快だったからであり、規定違反は二義的であったと解釈しています。もちろん、一万人以上に及んだ署名者全員が同じ考えで参加したとは思いませんが、「イラストがFacebookの規定に反したこと」がアクティヴィズムの原動力であったとは思えません。(続く)
Commented by oktak at 2015-10-07 11:00
いずれにしても、Facebookの「ヘイトスピーチ」の定義は非常に狭いのだと思います。ギリギリのところまで許容するポリシーなのではないでしょうか。
然るべきだと思います。マジョリティの気分を害する文章や絵を取り締まることの危険性を考えれば、時折不快な内容の文や画像を目にしたとしても、多様な人間が、ありとあらゆる表現ができる社会は、健全だと思うからです。

最後に、大勢の人が善意で、Change.orgのキャンペーンをFacebook上でシェアしたことによって、逆にイラストを拡散してしまったのは、皮肉としか言いようがありません。少なくとも私は、複数の知人がシェアしなければ目にすることはなかったと思われます。(その後、イラストのベースになった写真の方を拡散しようという動きもあり、そちらも見ましたが。。一度拡散したものは取り返しがつかないので、各自SNSの使い方を再考する必要があると思いました)
Commented by 小林正秀 at 2015-10-14 10:43 x
 ご丁寧なお返事、有難うございました。少し引っ掛かったのは、oktak さんが「表現の自由」の中に、流言蜚語や誹謗中傷や名誉毀損や人格尊厳否定、及び「人種、性別、種族的出身、宗教、性的指向、もしくはその他のいかなる理由による差別」(FIFA’s “Say No to Racism”ー日本 3-1 スウェーデン @差別撤廃スピーチ - Transnational Historyhttp://d.hatena.ne.jp/dj19/20110715/p1)の表現まで含めていらっしゃる(らしき?)ことです。
 確かにoktak さんの仰られるような一切の前提条件無し(無条件・無前提・無制限)の書き方で絶対的に「これを保証」されている「表現の自由」(日本国憲法 21条)は、しかし唯一、当然ながら自動的論理必然的に他者の権利や自由を侵害する場合に限り、制限を受けます(12条で言う「公共の福祉」=”他者たちにも同じく保証されている同じ自由”と衝突しないような「(自由権の)濫用」の禁止)。oktak さんが H 女史のイラストに唯一認められている「著作権侵害」もそうで、他人の著作権を侵害した「表現の自由」は認められません。
Commented by 小林正秀 at 2015-10-14 10:44 x
 では、「いじめ・嫌がらせ」と「レイシズム」はどうでしょうか。oktak さんは「イラストが侮辱的で(極めて)不快であった」にも拘らず、この二つには該当(違反)せず、「規定違反は二義的であった」とおっしゃられますが、「侮辱的」とは、では一体どこが、どう、誰(たち)に対しての「侮辱」だったのでしょう? また、ある特定の人(々)への「侮辱」が、どうしてその特定の人(々)への「いじめや嫌がらせ(=ハラスメント)」や「その他のいかなる理由による差別(上掲FIFAの言う広義のレイシズム)」でないのでしょうか?
Commented by 小林正秀 at 2015-10-14 10:46 x
 「侮辱」や「不快」と「規定違反」は、一義的/二義的の構造/関係にあるのではなく、一体不二、陰陽渾然の太極的構造/関係にあると私は感じています。簡単に言えば、H 女史の「自由な表現」が、特に勝手にトレースされた写真の少女(の自由意志)に対する極めて侮辱的で不快な迷惑行為=大人になって自分の身に加えられたこの「暴行」にも似た事態を知ったら明らかに嫌(がる)であろう行為だと多くの人が無意識の裡に感じ、かつ「難民」=「ほとんど『移民』」( H 女史)ーー特に今回は、イスラム教(宗教)のアラブ人(狭義の人種/民族/部族)という指定・限定(すなわち差別)となってしまったーーは皆、子どもの頃からこういうズルい奴らだと決めつける(FIFAの言う広義の)「レイシズム」だと多くの人が感じ、それはFA-Jの(管理者はどうあれ)規定違反に当たり、違反があれば削除要請という形の報告義務へと多くの人を駆り立てたのだと思います。これが、oktak さんも意識しておられない(と僭越ながら推量する)多くの人々の意識下の流れ/構造ではなかったかと思います。
Commented by 小林正秀 at 2015-10-14 10:50 x

 さて、初めは通りすがりの声掛けに過ぎなかったのですが、すっかりお返事に甘えて軒先どころか縁側を占領しての長居をしてしまいました。此処は oktak さんの主張の場であって私の場ではないので、そろそろ腰を上げますが、最後に二つだけ気になったことを言わせて下さい。
Commented by 小林正秀 at 2015-10-14 11:00 x
 一つは「シャルリー・エブド」の「イスラム教…侮辱…イラスト」を擁護したのと「同じ善意ある人たち」が H 女史の「難民…侮辱…イラスト」の「抹消(ママ)」を求めていると仰られていますが、この同定には何か根拠があるのでしょうか? と言うのも例えば私は前者には懐疑的以上に批判的以上に否定的だからで(ちなみに後者には「抹消」ではなく、サッカーの処罰で言えば “競技場への立ち入り禁止” を求めているのであり)、そういう人は私だけではないと思います。
Commented by 小林正秀 at 2015-10-14 11:02 x
 もう一つは、ある種の「結果論」偏重もさることながら、「完全な無視」とか「第三者がいくら…活動を行っても無効」とか「取り締まることの危険性」といった(失礼ながら私に言わせれば一種の「不可知論的相対主義」/「放置主義」/「ペシミズム」?/?/?)です。これに対する私の反論は oktak さんに倣って文末引用に替え、これで御暇いたします。
Commented by 小林正秀 at 2015-10-14 11:06 x
 「いかなる理由による差別も認めないことを宣言します。私たちは…社会…から…差別を撲滅することができます。この目標に向かって突き進むことを誓い、…みなさまも私たちと共に差別と闘ってくださるようお願いいたします。」(上掲FIFA・澤穂希)
 「あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたはそれをやらなければならない。それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためである。」(マハトマ ガンディー)
Commented by oktak at 2015-10-15 07:06
小林さん、引き続きコメントありがとうございます。存じ上げない方から、このようなご丁寧なコメントをいただき、恐縮しています。見知らぬ者に対してこれほど書いてくださることから、この件に対する小林さんの熱意が伝わってきますが、これ以上ここで議論を続ける気はありません。コメントには極力お返事する主義ですが、二回目のコメントにはあまりにもたくさんのポイントが含まれており、お返事を書く余力が今はありません。消化不良で終わらせてしまい申し訳ないのですが、敬意を表して、小林さんの一連のコメントはすべて承認・公開いたします。
Commented by oktak at 2015-10-15 07:15
追記:議論を続ける余力はないのですが、米国最高裁判所で2011年に審議されたSnyder vs Phelpsというケースをご存知ですか。もしご存知なければ、関連記事をお読みいただくと面白いかもしれません。ヘイトスピーチにも言論の自由が適用されるかが争点となったケースです。https://en.wikipedia.org/wiki/Snyder_v._Phelps
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