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カリキュラム・ナイト。「できなくてもいい」ではなく、"Just do it"

新学年度が始まって、2週間たった。
今週は、毎年恒例の「カリキュラム・ナイト」があった。
カリキュラム・ナイトとは、文字通り、担任の先生が親に、この1年のカリキュラムについて説明するための集まりで、平日夜におこなわれる。

娘は9月から5年生。NY市では、小学校最高学年だ。夏の終わりに10才になったばかりなのに、もう小学校最終学年というのは、早いような気がするが、とにかく、この秋は中学校巡りで忙しくなりそうだ。

娘の先生の説明を聞いていて、気になったことがある。どの教科についても、"I don't expect the kids to do well, it's ok to struggle" (子供たちが上手にできるとは思っていない、分からなくて苦しむのは当たり前)というメッセージを送り続けていたことだ。

子供二人を育ててきて、共通して思うのは、いつからアメリカの学校は、これほど子供に甘くなったのだろう?「よく分からなくてもいい、失敗してもいい」というのは、ポジティブに聞こえるかもしれないが、子供への期待値が低くなったことは、決して良いとは思えない。子供はむしろ、期待された方が生き生きすると思うのだ。
お陰で、どの子の作文を見ても、字は汚いし、スペリング・ミスは多いし、基本的な計算ができない子が心配になるほど多い。雑な仕事しかしない子が増えていると思うのは、気のせいだろうか?

遅れを取ってしまった子へのサポートはもちろん必要だが、なにも全体のスタンダードを下げる必要はあるまい。それなのに、最近は、厳しい評価をして、少しでも子供が傷つくのを恐れているかのように、教師も親も甘い。

昔、日本の学校では、成績を名前つきで張り出されたことがあったと記憶しているが(さすがに今はないのだろうか?)、アメリカでも、5-6人ずつ教室の前に立たされ、掛け算の速さを競わされたことや、全員が参加しなければならない、勝ち抜きのスペリング・コンテストがあったことを覚えている。苦手な子は、さぞかし嫌だったろうと思う。でも今は、少しでも子供の自尊心を傷つけてはいけないと、競争はご法度だし、「できなくても大丈夫」というメッセージが与えられ続けている。

その結果、子供はできなくても安心していられる。その代わり、進歩が少ない。
子供は、できないと楽しくないから、放っておくと努力もしない。
子供に期待しない、できなくても叱らない、というのは大人が楽だからではないか。

でも、子供に期待しないのは、彼らに失礼だと思う。
大人は、大変でも、彼らに努力を求めないと。
かくいう自分も、毎朝放り出したくなるのを我慢して、娘に日本語を教えている。娘のお尻よりも、自分のお尻を叩きながら。

Nikeのキャッチコピー、噛めば噛むほど味が出て、好きなのだ。JUST DO IT.

 
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by oktak | 2014-09-20 03:35 | 日常
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