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汗と涙のバレエ

 ファンドレージングの季節が巡ってくると、娘のバレエスクールでは、5月の公演に向けてのリハーサルが始まる。昨晩はリハーサル初日。

 昨年までは、同じクラスの子供たちは全員同じ振り付けで、立ち居地の良し悪しはあっても、基本的に皆平等。今年は、もっと複雑な動きができるようになり、「フィーチャー」される子供と、「その他」という区別が生じる。もちろん、もっと上のレベルになれば、完全にソロイストとコール・ド・バレエ(群舞要員)に分かれて、傑出した才能のある子がスターになっていく。

 娘は間違いなくコール部員なので、リハーサルの前に、そっと心の準備をさせておいた。「今年からソロを踊る子と踊らない子がいると思うけど、フィーチャーされなくてもがっかりしないでね」と。娘は「わかってる、わかってる」といわんばかりに頷いていた。彼女は文句ひとつ言わず週4-5回バレエに通ってはいるものの、「将来バレリーナになりたい」とは露ほども思っておらず、「建築家か小説家か弁護士になりたい」と言い放っている。そのため、バレエに対する姿勢も実にさっぱりしたもので、課されたノルマはきちんとこなすが、それ以上のことをする気はまったくなく、その結果バレエスクールで落ちこぼれたとしたら、それはそれで結構、と考えている。そのため、案の定、今年の公演ではソロのパートはないようだが、一応コールの中では最前列で、十分満足している模様。

 真剣なバレエスクールなので、9~10才の娘のクラスでも、プロを目指している子はまったく違う。既に学校に通わずに、いわゆる「ホームスクール」をしている子もいる。可能な限りバレエのレッスンを受け、プロのバレエやオペラの子役のオーディションを受け、リハーサルに通うのは、通常の学校生活を送っていてはほぼ不可能だからだ。長い夏休みには、さまざまなバレエスクールで、朝から晩までバレエ漬けの生活を送るらしい。

 そこまでではなくとも、この段階でレッスンを受け続けている子の中では、娘のように熱意のない子は珍しい(笑)。週4-5日、短いときでも1時間半、長いときは3時間もレッスンを受けるという生活は、子にとっても親にとっても楽ではない。宿題だってあるし、学校のお友達とも遊びたいし、他にやりたいこともあるのだが、雪が降っても雷が鳴ってもレッスンに通い、休んだときには必ず別の日に「メークアップ」をしなければならないポリシーなので、バレエは物理的にも精神的にも、生活の大きな部分を占める。

 こんな状態なので、昨晩のリハーサルで、端役しかもらえなかった子の中には、大ショックを受けて、帰宅してから大泣きした子もいたらしい。そのうちの一人のお母さんから、今朝電話があった。「お宅の娘さんは大丈夫だった?」と。子も涙なら、親も涙で、「これだけ頑張っているのに、才能のある子だけが中心でソロを踊り、その他は後で踊るだけ、しかも両端は観客からほとんど見えないと先生が言ったそうだ」と嘆く。さらに、スクール側は、レッスンを何度も休んで、穴埋めをしない生徒は公演には出さないと厳しいことを言いつつ、才能のある子は休みがちでもソロイストの座を得ているという矛盾に、憤慨。

 確かに。規則の実施には必ずしも一貫性がないようだし、もし本当に先生が「端で踊っている子は観客から見えない」と言ったのだとしたら、そんなことを言う意図は理解しかねるので、問いただすべきと思う。でも、「頑張っていても手に入らない」ことは人生多々あるので、その部分に文句を言っても、資するところはあるのだろうか、と思う。以前こんなことも書いたが、こんなに小さいうちから「あんたは下手だから主役にはなれないの」と言われるのは厳しいけれど、そこでどんな決断をするにせよ、結構よい人生勉強になる気もする。「才能ないんだったら、他にもっと好きなことを見つけよう」と辞めるのもよし、「こんちきしょう」と悔しさをバネに続けて上手くなるのもよし、「下手で結構、でもやれるところまでやらせていただきます」と開き直るのもよし。人間は、不愉快な状況にあって初めて成長できるのだ。

 娘もあとどれだけ続けられるか分からないが、とりあえず本人が根を上げるか、気が済むまで、と思っている。それも、いつの間にか娘が成長し、本人の決断を尊重できると思えるようになったということ。汗と涙のバレエの日々。将来バレエから離れてしまっても、振り返れば意味があったと思えるような気がする。
 

 
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by oktak | 2014-03-08 01:50 | 日常
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