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子供は天使

 若い頃は子供が苦手だったが、子供を持ってからは、柄にもなく「子供は天使のようだ」と思うことがある。
 自分の子供だけではない。私は信仰を持たないが、それでもすべての子供、特に幼い子には、神が宿っているような気持ちがするから、不思議だ。純粋に喜び、悲しみ、なんの打算もなく、ありのままに振舞う子供たち。また、彼らは特に教えられたわけでなくとも、人の痛みに共感し、寄り添い、労わることを知っている。西洋の絵画で、天使が子供の姿をしているのを、母親になって心から納得した。

 最近、祖母が亡くなり、6歳の娘が発する言葉にいちいち驚いている。
 まず、訃報が入ったそのとき、彼女は真っ先に自分の額を指差してこう聞いた。「(おばあちゃんの)ここに入っていたものはどこに行ったの?」
 身体と心は別である、と彼女が認識していたことにびっくりした。
 私はこれまで娘と死について語り合ったことなどなかったので、しどろもどろになりながらも、「誰にも分からないんだけどね、お母さんは人の心はなくならないと思うよ。いつもその人が大好きだった人たちの中に残っていると思う」というようなことを言った。

 その後、私一人で葬儀に出席することにしたとき、手紙なら棺に入れてあげられるよと言ったら、彼女はこんな手紙を書いた。

 「すがものおばアちゃん
 たんじょうびにぷれぜんとをかてくれてアりがとう。
 だいすきだよ すがものおばアちゃん すごいたいせつなおばアちゃん アりがとう
 ばいばい またね ○○より」

 私が言いたかったことを、短い文章にぎゅっと凝縮してくれたような気がして、涙が出た。
 
 そして、それから3週間以上たった今日、娘はお風呂上りに突然こんなことを聞いてきた。
 「○○ちゃん(自分のこと)たちと遊んだビデオある?巣鴨のおばあちゃんの中に、○○ちゃんたちのビデオまだある?」
 どうも、亡くなった祖母の中に、娘や他のひ孫たちの記憶が残っているかと聞きたかったらしい。
 「きっとあるよ、皆と遊んだことは絶対に忘れないと思うよ」、と答えた。

 その後の会話。

娘: 「○○ちゃんが7歳になったとき、もうニコニコしているおばあちゃんには会えないの?」 (来年の夏、毎年恒例の里帰りをするときには、祖母に会えないことを心配して)

私: 「うん、身体はもうあそこにはいないけど、皆の心からおばあちゃんがいなくなることはないよね。」

娘: 「おばあちゃんはskeletonになっちゃったの?」

私: 「そうだよ、身体はもう骨だけになっちゃって、今度その骨をお墓に入れるんだよ。でもおばあちゃんは○○ちゃんの心の中にいつまでもいるよ。」

娘: (自分の胸を指して)「ここにいるおばあちゃんが、本当のおばあちゃん?」

私: 「そう」

娘: (目を閉じて) 「今、○○ちゃん、にこにこしているおばあちゃんのビデオ見てるよ」

 この3週間、あまり祖母のことを話題にすることはなかった。
 娘にはまだ死は理解できないだろう、すっかり祖母のことは忘れてしまっただろうと思っていたら、彼女なりに考えていたようだ。

 一年に一度しか会うことのなかった曾祖母を、ときどき思い出しては、彼女なりにその死の意味を理解しようとしているのだろう。どれだけ祖母がひ孫たちを可愛がっていたか(祖母の家には、隙間なくひ孫たちの写真が飾られていて、毎朝起きると、一人一人に「おはよう」と挨拶していたらしい)、彼女は感じ取っていたのだろうか。

 いつかその記憶が薄れてしまう日が来るだろう。もう祖母の「ビデオ」を見られるなくなる日が(笑)。
 でも、娘が大好きだった曾祖母に思いを馳せ、あれこれ考えている姿は、私にはただ愛しく、子供の素晴らしさを改めて思い知らされるのだ。

 

 
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by oktak | 2010-11-02 11:10 | 日常
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