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日本語教育その後

 家で細々と日本語の勉強を続けている息子(5年生)。
昨日は敬語の問題に取り組んだが、これがもっとも難しい模様。

 なんたって、敬語を聞いたことがほとんどないからな。
日本人の知り合いは、ここにいる年数が長くなるにつれて減っていき、わずかに残っている友人たちとは敬語を使うような仲じゃないし。

 ○問題: 次の文を丁寧語に直そう。 「私は5年生だ。」
 ○息子の答え: 「私は5年生ございます。」    ・・・・プププ (←笑ってる場合じゃない)

 謙譲語に至っては、まったく分からない様子。(ま、日本に住んでいる日本人でも分からない人が多いけれど・・それは置いといて。)

 海外暮らしが長くても、家で丁寧な話し方を心がけている方もいる様子だが、うちは(私の性格上)無理。

 私も帰国子女だが、母が電話でしょっちゅう敬語を使うのを聞いていたから自然に覚えたんだな・・
気の毒だが、私の子供たちは敬語をまともに使えないまま大人になってしまいそうだ。

 でも、もう日本語教育で悩むのはやめたのだ。
 今目標としているのは、義務教育が終了するまで通信教育を続けることと、毎晩の教科書の朗読と日本語の本の読み聞かせをできるだけ長く続けること。これだけでは、当然ながら日本にいる同年齢の子供と同じレベルの日本語は使えないが、それでいいと開き直っている。漢字は覚えるそばから忘れるし、語彙も限られているが、今いる社会で生き生きと過ごすことがプライオリティだと思っている。アメリカにいる限り、アメリカの学校で最善を尽くし、ここでの生活を楽しんでほしい。そうすれば、いつどこに引っ越したとしても、必ずそこでも生き生きと過ごせると思うのだ。

 言語とアイデンティティは切っても切り離せないもので、日本語能力を失うことは、日本人としてのアイデンティティを失うこと、という捉え方は根強いと思う。そのため、アメリカにいながら、日英両方の言語を使いこなせるようになってほしいと、子供に期待する方が多いような気がする。(実際、このままいくと「日本人でなくなる」とか、「アメリカ人になってしまう」という言い方をされる方もいる。)

 私もかつてはそうだったが、今はまるで憑き物が落ちたように、国籍に基づくアイデンティティへの執着はなくなった。息子は息子であり、これから彼がどこに行って、何をしようと、「彼」であることに変わりはない。
今思うと不思議である。「日本人」とか「アメリカ人」って、そもそも何なのだ?「日本人でなくなる」とは?「アメリカ人になる」とは?行動様式がアメリカナイズされることを心配しているのだろうか?日本がいまだ閉鎖的な社会である故、行動様式や考え方が異なると、社会でつまはじきにされるという恐れがあるのだろうか?
だとしたら、私はもはやそんなことはどうでもよくなっている。核心にある人間性がしっかりしていれば(どうしても譲れない価値観を伝えるために、親としてできる限りのことをしたと確信できれば)、それでよい。それ以上に何を望めるだろうか?

 でも、こう思えるようになるまでに、10年かかった。
この10年に子供も大きくなったが、私も同じくらい変化(あえて「成長」という言葉は使わない。良いのか悪いのか分からないから・笑)したのだろう。
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by oktak | 2010-05-04 00:45 | 日常
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